ペットのお世話代行サービスは今後もビジネスとして成り立つか——コロナ禍とAI時代を経て考えたこと

この仕事を始めて数年が経った頃から、頭の片隅にぼんやりとした問いがありました。
「ペットシッターという仕事を、ライフワークにできるだろうか」と。
体力勝負の仕事でもあり、年齢とともに引き受けられる仕事量は変わってくる。
経済的にどう設計するか。その問いを、私はずっと先送りにしていました。
その先送りを強制終了させたのが、コロナ禍でした。
外部環境の変化に、これほど無防備だったとは
ペットシッター業は観光・旅行業と需要が一致します。人の外出が止まると、仕事も止まります。
コロナ禍の約2年間、私は半ば強制的な営業休止状態に置かれました。
私の人生の中で、バブル崩壊もリーマンショックも、正直なところ実感を伴って感じたことがありませんでした。
ところがコロナは違いました。先が見えない、足元が揺らぐ——そういう状態を初めて経験しました。
それまで「臨機応変さは得意」と思っていた自分が、「自分の今後」という大きなテーマを前にして、ギリギリまで動けなかった。
本音を言うと、疲れていたのだと思います。とても。
それでも「必要とされる」と確信できた理由
混乱の中でも、一つだけ冷静に考えられたことがあります。
「この仕事は今後も必要とされるか」という問いです。
私の答えは「YES」でした。
理由はシンプルです。
娯楽が制限されても、人には外出しなければならない事情があります。
旅行でなくても、家族の入院、介護、急な用事——そういう場面でペットを自宅で世話してもらえることの安心感は、一度体験した人にとって手放しがたいものです。
緊急事態宣言が解除されるたびに予約が戻ってきた経験が、それを証明していました。
需要が消えたわけではなかった。
ただ、外部環境に対して自分があまりにも無防備だったということです。
「あの轍は踏まない」——経験が思考を鍛えた
コロナ禍を経て、私の中で変わったことがあります。
似たようなことが形を変えてまた起きるかもしれない。
そう考えると、「その時どうするか」を事前にシミュレーションするようになりました。
仕事のことだけではなく、何をベースに生きるか、どんな引き出しを持っておくか、ということを真剣に考えるようになったのです。
一つの収入源、一つのサービス形態、一つの価値観
——何かに依存しすぎている状態は脆い。
いくつかの引き出しを持っておくこと、外側の変化に引きずられない軸を自分の内側に持っておくこと。
痛い目に合った分だけ、思考が鍛えられました。
それはコロナ禍が残してくれた、皮肉ではあるけれど確かな収穫です。
次の変化はすでに始まっている
コロナ禍が落ち着いた今、別の大きな変化が加速しています。
AIとAGIの進化です。
家事代行型ロボットの普及はもはや遠い話ではなくなってきました。
体調変化の早期察知や異常検知の精度は、すでに人間の感覚を上回る場面も出てきています。
基本的なお世話を担うことも、技術的には現実の射程に入りつつあります。
そうなった時、人間のペットシッターは必要とされるのか。
正直に言うと、私にはまだ明確な答えがありません。
ただ、コロナ禍で学んだことが一つあるとすれば、「その問いを先送りにしない」ということです。
需要があるかどうかという外側の話より先に、自分は何者で、どんな形で役に立てるのかという内側の問いに向き合っておく必要がある。
職業という形にこだわるより、在り方と表現方法を考えておくこと。
AIの進化はコロナ禍以上のインパクトをこの仕事にもたらすかもしれないと、今は感じています。
ライフワークにするための条件
結局のところ、「ペットシッター業はこれからもビジネスとして成り立つか」という問いへの答えは、需要の有無だけでは決まらないと思っています。
需要はある。でもそれだけでは十分ではない。
外部環境がどう変わっても揺らがない自分の軸があるか。
変化に対応できる複数の引き出しを持っているか。
そして、この仕事を通じて誰かの役に立てているという実感があるか。
この三つが揃って初めて、ライフワークと呼べるものになると、今は思っています。
23年続けてきた中で、それが少しずつ形になってきた実感があります。
※この記事は2021年12月に公開し、2026年6月にリライトしました。










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