「今まで一緒に生きてくれてありがとう」という感謝の思いで家族の一員であるペットを送り出すことができたなら。。。
ペット達が最後を迎える時、飼い主さんは心が乱れ
「自分の選択は本当に目の前の子のためだろうか」
「私がやっていることは正しいのだろうか」と気持ちが揺れます。
これは当然のことで、多くの飼い主さんが味わう感情です。
湧いてくる悲しみは私たち飼い主にとって当たり前の感情ですが、悲しみのあまりペットロスになってしまう人も中にはいます。
ペットロスになってしまった飼い主さんのことを亡くなってしまったペット達はどう思うでしょう。
きっと心配するはずです。
悲しむことは悪いことではありません。
悲しみは虹の橋を渡っていくペット達に添えるひとつ愛の形でもあるので、我慢せず、天国へ送り出す際のはなむけとして存分に出しきってしまった方がいいのです。
一方で悲しみとは別に、脱力感や罪悪感、深い懺悔の思いから長く抜け出すことができず、いつまでも想いを引きずり、周囲の人を心配させてしまうケースがあり、これをペットロスというのではないかと思います。
ペットロスは単にペットを失った悲しみから陥ってしまう現象でしょうか?
そこに依存や執着、自身の投影はなかったでしょうか?
もしかすると、この飼い主さんの依存や執着がペットロスを産んでしまうのでは?という思いから、いつか来るその時に向けて、私たち飼い主に、今からできることがあるのではないかということをまとめました。
ペットロスの根源にあるもの
ペットシッターをやっていると、飼い主さんからいろんなご相談を受けます。
その多くはペット達の体調不良や問題行動、そして最期の時に向かう終末期医療をどうするかということが半分以上を占めます。
飼い主さんのご相談を聞いていると、相談の内容はそれぞれ異なるのですが、一つの共通点があることに気付きました。
共通点というのは、「思い癖」です。
飼い主さんの観念や思考パターンと言い換えてもいいかもしれません。
もちろん、飼い主さんは無意識です。
いつしか悩みの本質がペット達の抱える問題や病状ではなく、そのことを通して浮き彫りになる「飼い主さんの思い癖」或いは「観念」によって形を変化させてしまっているケースが実は少なくないのでは?と。
飼い主さんのペットに寄せる思いが強すぎて、心配が心配をよび、負の気持ちを増幅させて、実像以上のものに見せてしまっている。
そう感じたことも何度もありました。
大事なペットを心配するのは当然ですし、私自身も心当たりがあります。
ペットロスやペット達との別れに向き合う良い方法がもしあるとするなら、その場面になってから考えるのではなく、ペット達が元気な内からできることがあるのではないか。
このことについて、しばらくシッターのお世話を通して観察し続けていましたが、やはりそうだ!と感じることが起きていますので、今回まとめてみようと思います。
ペットロスに似た事例「ペット連れの引越し」
少しペットロスや看取りのことから話がそれますが、思い癖の観点から同じようなことがペット連れの引越しにも当てはまります。
転勤による飼い主さんの引越しにペットを連れて行くというケースは割と多いと思います。特に転入出の多い福岡ではよくあるケースです。
転勤がご家族連れの場合は、飼い主さんお一人ではないので、深刻になるケースは少ないのですが、単身の引越しの場合、心配や不安を分かち合う相手がいないため、飼い主さんの心配事やストレスはどうしても大きくなってしまいます。
そんな状況で、ペット達が新居になかなか馴染めなかったり、夜鳴きやストレスで身体を舐める行為などを始めると、飼い主さんの悩みと心配はますます深くなってしまうのです。
こんな時は、誰かに話を聞いてもらうだけで気持ちが軽くなるものですが、
飼い主さんも新たな土地で知り合いも少なく、ましてやペットの相談事を会社の同僚にするというのもなんとなく気が引けて相談しづらかったりします。
環境が変わるとその影響はペットにも及び、ペット達は飼い主さんの状態を敏感に感じ取るので、緊張を緩めてリラックスすることができません。
こうしてピリピリした緊張状態が続き、事態がなかなか好転せずに悪循環になってしまうのです。
こんな時、どうすればよいかというとペットを飼っている友人や知人、または私たちのように動物関連の仕事をしている人に話を聞いてもらうのが解決への早道ではないかと思っています。
このケースでは、まず物理的な対策をとることで解決できそうなことに先に取り組みます。
例えば、引っ越し前であれば、どんな移動手段が一番ペットへのストレスが少なくて済むかを考えたり、
移動当日のストレスは避けられないのでペットの気質によりますが、事前に動物病院でお薬を出してもらうこともできます。
引越し後は、ペットのストレスを軽減するサプリメントを使うのも良いでしょう。
ペット達がくつろげる環境にするために新居をペット仕様に整えてあげるのもやってあげたいところです。
こうして事前の準備をある程度整えることで引越し後のペットのストレスが軽くなり、スムーズに飼い主さんご自身の生活をスタートさせることができます。
引越し直後は飼い主さんもペットもストレスを感じてしまうのは避けられませんが、飼い主さん自身が落ち着いているとペット達もそれを見て安心できるのです。
逆に、飼い主さんがペットに対して申し訳なさや、ストレスを感じているとそれが伝わって、状況が変わらないどころか余計に悪くなってしまう。
ペットと飼い主さんの関係は切り離せないのです。
ペットが一番見ているのは飼い主さんなのですから。
無理をして元気なフリをする必要はありません。動物達はそれをいとも簡単に見抜くことでしょう。
相談できる人にまず話を聞いてもらい、物理的に解決できることに取り組みその過程で、飼い主さんご自身のストレスを徐々に軽くしていくことをやって頂ければよいのです。
あとは時間の経過もお薬の役割を果たしてくれます。
ペットロスに対処する方法はある?
ペット達は飼い主さんの心情を敏感に感じ取っている
一見関係ないと思える引越しの事例は、実は看取りの時にも当てはまります。
それは、ペット達は飼い主さんを常に見ているということでもあり、看取りは究極的に日常の延長線上の出来事であるといえるからです。
だとするなら、飼い主さんにできることは何かというと
「飼い主さんが本当の自分の気持ちを理解し、自身を労わり、本当の意味で自分らしく過ごす姿」をペット達に見せる。ということになります。
飼い主さんが満たされていると、ペット達に自然と伝わり、それが彼らを安心させるのです。
飼い主さんの役割は実はとても大きく、ペット達に身体に良い食べ物を与えたり、住環境を整えたり、マメに医療にかけたりすることだけがその役割や責任ではないと私は思っています。
物理的なケアももちろん大切ですが、飼い主さんの気持ちが穏やかで整って
いることの方がより大切なのです。
私達が思っている以上に、ペット達の心身は繊細なのです。
そしてペット達に誤魔化しは通じないということ。
誤解していただきたくないのは、ペット達のために穏やかに振舞ってくださいということではありません。
飼い主さんご自身が本当の意味で満たされる生き方、過ごし方を探し、心がけてみませんか?ということです。
一見、ペットロスの解決法や終末期ケアの向き合い方とはまったく別の事柄を書いているように思えるかもしれませんが、私はこれがおそらく問題解決の本質だろうと思うようになりました。
気持ちが整い選択すべきことが見えてくるとペットロスにはなりにくい
ペットの終末期に向き合う際、情報を集めることも大事な要素です。ですが、その一方で情報に振り回されないことも大切です。
溢れかえる情報の中で、飼い主さんとペットの双方により適したものを選ぶには選択する力が必要になってきます。
「選択する力」とは情報の適切性を見抜くことでもあり、もう一つは選んだことを信じる力ということもできるでしょう。
「選択する力」が乏しければ、特にこの時代、情報が多すぎて混乱を招いてしまい、飼い主さんを更に苦しめることになります。
看取りに際しては、物理的なもの(日々のケアや病院での治療)を満たすだけでは充分ではない面があって、そのことは死が近づくにつれて特に顕著に表れてきます。
しっかり情報を集めて、考え付く限りのことをやっているのに、湧いてくる迷いや不安。
その正体は「死」に対する恐れや悲しみだけではないのではないか。
「死」はいつかはやってくると初めから分かっていたはずです。
分かっていたはずなのに、失う悲しみの他に気持ちが乱れてどうしようもなくなるということは、他に理由があるからなのでは?と。
その理由の一部が、飼い主さんの「選択への迷い」、「決断することへの躊躇いと恐れ」なのです。
ペットロスを回避する「選択する力」の育て方
「選択する力」には、正しさや間違いという分け方や概念はありません。
高度な治療をやってあげられるから正解で、できないから間違いという判断は適切ではありません。
一緒に長い年月を過ごし、命の終わりが見えてきたペットに対して、何が適切で、何をしてあげたいのかを飼い主さん自身で考え、選び、決めて実践する。
このことは、飼い主さんでなければ分からないのです。
獣医さんではありません。飼い主さんなのです。
これが「選択する力」「決める力」です。
獣医さんは頼りになるプロのアドバイザーであって、選択権を持っているわけではありません。
自分を大切にするということがなんとなく腑に落ちて実践できるようになってくると、自然と気持ちや考えが整理されてきて、目の前の愛するペットに対してどうしてあげたいのか、どうするべきかということがおのずと分かってくるようになります。
一般論や常識ではなく、飼い主さんとペット達とで築き上げてきた関係性や共に過ごしてきた時間から辿り着ける答えがそれぞれにあるはずなのです。
「動物病院に通い続けるのは本当はペットのため?それとも自分のため?」
「あえて何もしないと決めたのに心が乱れるのは一体どうして?」
私も何度も看取りを経験しているのですが、終末期治療の迷いの多くは、飼い主さんの気持ちのブレから起きてしまっていることが多いように思います。
自分で「治療はここまで」と線引きしてみたものの、それを守りぬくことに耐えられなくなる。
もちろん、必要だと感じることがあれば、一度決めた選択を変えても良いのです。守り抜くとは執着するということではありません。
多くの獣医さん達は良心的にアドバイスをしてくださいます。でも、混乱してくると、そのアドバイスすら聞いているようで聞こえなくなっている。
なぜ聞こえなくなってしまうかというと気持ちの乱れもありますが、やはり、飼い主さんが自分を見失い、冷静さを保てなくなっているからなのです。
看取りの時に冷静でいられるわけがない!
分かります。その通りです。
ですが、初めにお伝えしたことに戻りますが、「ペット達は飼い主さんを見ている」のです。
愛するペット達に少しでも心穏やかに最期の時を迎えてもらいたい。
これは飼い主さん共通の願いであることに間違いはないはずです。
そのためにできることがあって、それはペットのためだけでなく、飼い主さんご自身のためにもなる。
逆にいえば、飼い主さん自身のためになるからペット達も安定する。
飼い主さんのためでもあり、ペット達のためにもなるというのが
「飼い主さんが飼い主さん自身を大切にする」ということ。
或いは、
「飼い主さんが飼い主さん自身を大切にすることの重要性に気付く」ということなのです。
ペット達は飼い主さんが幸せそうにしていると、すごく安定しています。
彼らの飼い主さんの気持ちをキャッチするセンサーは超高性能なのです。
私はそのことを20頭を優に超える飼い猫達の死を通して肌で感じているので、地道に伝えていきたいと思っています。
まとめ
私がお伝えしたかった本質は、いつかくる看取りの時に今から備えましょう!ということではありません。
「死」を前提に今からできることに取り組むという、ちょっと寂しくなる準備ではまったくないのです。
ペット達がそばにいてくれる日常を意識的に大切にして、少しだけ視点を変えて、今よりもっと毎日を充実させませんか?ということです。
日常を大切にして視点を変えるということは、ペット達に今以上に頑張って愛情を注ぐということではなく、関心を少しだけペットからご自身に変えてみませんか?ということです。
・自分らしく過ごせているか?
・無理をしていないか?
・社会の価値観や常識に縛られていないか?
・息苦しさを我慢していないか?
・リラックスできるのはどんな時?
・本当は何が好きで、何を大切に思っている?
こんなことを自分に問いかけて自分から返ってきた返事に耳を傾けてみて頂きたいのです。
私はこの問いかけを繰り返している内に、自分のことだけではなく、飼い猫達に対する見方、捉え方、看取りの時の姿勢にも変化が表れてきました。
付き合い方や接し方が良い意味で楽観的に変わったのです。
彼らは守られるだけの対象ではない!
単に癒しや喜びを与えてくれるだけの存在でもない!
そんな存在にしていたのは私の思い癖だったんだと。
彼らはその存在を通して、何気なく私たちに生き方や死に方、或いはそれをも超越した大いなる何かを見せてくれています。
飼い主さんが何かの思い癖に縛られたままでいると、ありのままのペット達の姿を感じ取ることが難しくなります。
フィルターを幾重にも付けているので目の前のペット達の自然な姿が見えにくくなるのです。
フィルターが飼い主さんを混乱させ、本来の姿からも遠ざけて、冷静さを失わせてしまいます。
ペット達は飼い主さんを見ています。
飼い主さんが満たされていると、自然とペット達も落ち着いて過ごせるようになっていきます。
この延長線上にあるのがいずれ訪れる看取りの時です。
「死」を避けるべきこと、忌まわしいこと、ただ嘆くだけの悲しい出来事と捉えることに私は賛同できません。
「死」があるから今を大切にできるのです。
彼らの愛しさや愛らしさ、その存在の大きさや本質的な価値、そして出会ってしまった縁などについて思いを巡らすことができるのは「別れ」があるからに他ならないのです。
飼い主さんとペットのより良い関係を時間をかけて育んでいく。
飼い主さんが自分らしさとは何かを考え、気付き、自分を大切にして、日々を充実して穏やかに過ごせるようになるということ。
ここに答えがある気がしてなりません。
即効性はないかもしれませんが、これをやることによってペットロスから距離をおくことができるのではないかと私は思っています。
ペットロスに対する直接的なアプローチではないので、一見すると関係のないことのように感じる方もいるかもしれません。
ですが、ぜひ試して頂きたいと思っています。
ペットとの関係だけではなく、思いがけない場面で良いことがあるかもしれません。
それに、幸いなことに、ペット達は飼い主さんが幸せになるための変化を拒むはずがありませんから。
最後に
愛するペットを亡くした飼い主さんにいつも贈っている言葉があります。
「死はすべての終わりではなく、ペット達との長いお付き合いの中のひとつの通過点かもしれませんね」と。
亡くなった直後はそんな風に思えないかもしれませんが、飼い主さんの意識の中にその子はちゃんと存在しています。
ファンタジックなことを書いているかもしれませんが、このブログを読んで
くださっている方々は少なくともペットを飼ったことがある方だと思いますので、きっと分かって頂けるのではないかと思います。
姿が見えないからといってすべてが終わった訳ではない。
いつもいつも飼い主さんを見つめているペット達に、どんな自分であれば彼らを安心させてあげられるだろうかと考え、
少しずつ日常を自分らしく整えていくことがペット達との別れに向かう道を作ってくれ、最期の時に「私のもとへ来てくれてありがとう」と感謝の気持ちを添えて送り出してあげられるようにきっとなれるはず。
これが私自身が何度も看取りを経験して辿り着いた今の答えです。
まずは自分を大切に扱ってみる。
やってみませんか?愛するペット達のために。
最後までお読み頂いてありがとうございました。