心のことあれこれ

死生観について

死生観について

死ぬってどういうこと?

私はこれまでに多くのペットを看取ってきました。
はじめて飼い猫を亡くした時は、その喪失があまりにも悲しく無念で、
枕元に二晩置いていたほどです。

ですが、何度も大切な存在を見送るうちに「死ぬってどういうこと?」と
考えるようになりました。

私がこれまでに看取った動物達は25匹になります。
この経験を通して「死はすべての終わりではなく、通過点なのでは?」
と考えるようになりました。

生き物は輪廻転生を繰り返しながら、魂を磨いていく
そう思うようになったのです。

科学的な証拠はここでは大きな問題ではありません。
かといって全く無視している訳でもありません。

これまで死に関する多くの本から得た情報や私自身の体験と感覚からこの考え方を採用したということです。

結果として死の意味や向き合い方がより深まってきています。

変わりゆく死生観と死後の世界

人の死生観は、年齢や経験によって変わっていきます。

若いころは死が遠い未来のことのように思えても、歳を重ねるにつれ、
それはより身近なものになります。
またそれぞれの死生観は飼っているペット達に対するそれと大きくかけ離れたものには成り得ないと思っています。

私はいつの頃からか、死は消滅や無への回帰ではなく、
魂の旅の一部であると考えるようになりました。

死後の世界についてはさまざまな考え方がありますが、
意識(魂)が天に帰り、自由に宇宙空間を浮遊できる状態になり、思ったことがすぐに形となる世界があるのなら。。

私はそこでもう一度、愛するペットたちに会えるだろうと信じているのです。願望やファンタジーではなく、割とリアルにです。

これって荒唐無稽な妄想でしょうか?
私にはこちらの方がリアルなのでは?と違和感なく受け止められるのです。

根拠ですか?

こればっかりは死んでみなければ分かりません。
ですが、自分のイメージが具現化するのが死後の世界だとするなら、壮大で美しく、自然と動植物や人々が調和した優しい世界を創造したいと思っています。そこに私も愛猫達と存在したいのです。

こう思うのはおそらく臨死体験をした人たちのエピソードを目にしたことも影響していると思います。

ふむ、死後の世界はある!と。

出会いの意味

ペット達との出会いは偶然のように見えて、
実は必然なのではないかとも私は考えています。
実のところ、この世に偶然はないといいますしね。

もし出会いが運命だったとしたら、
その出会いには何かしらの意味があるはずです。

ペットたちと過ごす時間の中で、その意味を考えてみることも
興味深いのではないでしょうか。

もし彼らがただの愛玩動物ではなく、私たちに何かを伝えるために
やってきたメッセンジャーだとしたら?
そう考えると、彼らとの関係性も見方が変わるかもしれません。

ペットたちは、私たちに「今を生きること」「病むこと」「老いること」、そして「死ぬこと」を見せることで、命の本質や生きることについて
教えてくれているのではないでしょうか。

単なる愛玩動物だなんて彼らに対して失礼だぞ!
と私は思うのです。

感情を大切にする

ペットを失った時は悲しみを抑え込むのではなく
しっかりと感じ切ることが大切。

このことは多くの心理カウンセラーや精神世界に精通した方々がいっています。

なるほどと思いました。

大いに泣いたり、寂しさや後悔を思い切り味わうことは
亡くなったペットへの大切な贈り物にもなり、はなむけでもあります。

感情を放出することは決してネガティブなことではなく、
ごく自然なことです。
避けるべきはいつまでもその感情を持ち続けて拗らせてしまうことです。

悲しみを十分に感じたうえで、ペットと過ごした日々を振り返り、
感謝の気持ちを持つこと。

感情と向き合っている過程で、
おのずペとット達への感謝の気持ちは湧いてくるはずです。

それが人の自然な気持ちの流れのような気がします。
素直な情愛とでもいうのでしょうか。

きっと本来私達はそんな風にできているのです。
そしてこれこそが、亡くなった彼らへの本当の供養になるのではないでしょうか。

死を考えることの大切さ

死について考えることは、決して縁起が悪いことではありません。
穢れでもないと私は思っています。

死を考えていくと、
では「どのように生きる?」と必然的に考えることになります。

自分がどのように死を迎え、死後の世界をどう捉えるのかを考えることで、
今をどう生きるかが朧げに見えてきます。

そしてそれは変化していきます。それでいいのです。

私達はずっと同じところに留まっていることはできないのですから。。

死後の世界についての考え方は人それぞれです。
唯一の正解があるわけではありません。

ただ、死をただ漠然としたものとして捉えるのではなく、
きちんと向き合い、考えてみることが大切なのでは?
とお伝えしたいのです。

そうすることで見えてくるものが、
私にとってあまりにも素晴らしかったのでお勧めしています。

いつか私がこの世での生を終えて、
三途の川(できれば愛猫達が渡った虹の橋を渡りたいですが)を渡り、
私の師を務めてくれたペット達と再会できたなら、

「おばあさんになっちゃったけど、それなりに精一杯生きてみたよ!」

と思い出話でもしながら笑って話せるような生き方をしたいものです。


ということで、
現時点での私の結論としてはやはり

『死は魂の旅路の中の通過点』

なのであります。

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