“例外”ばかりの現場でした

パターン化や分類は、便利です。
「この品種はこういう傾向がある」 「この年齢ならこのケアが適切」。

そういう知識の積み重ねが、科学を進歩させてきたし、私たちの日常を支えています。
それは否定しません。

再現性が高く、伝わりやすく、間違いづらい。
分かりやすいので発信もしやすい。

私も長い間、そこに頼ってきました。

でも、現場が「ちがう」と言い続けたのです。
同じ品種、同じ年齢、似たような環境。

なのに、全然ちがう。

植物だってそうです。
同じ種を同じ土に植えても、完全に同じようには育ちません。

「例外ですね」と片付けることもできます。
でも23年、その「例外」を見続けていると、だんだん思えてくるのです。

もしかして、例外の方が本来の姿なんじゃないか、と。

個別性を前提にすると、楽になる

『個別性』を前提にすると、むしろ楽に、シンプルになります。
これは意外でした。

「あなたはそうなのね。分かりました、それも加えましょう」

という受け取り方をするようになってから、情報が増えても、混乱しなくなったのです。

決められた枠に仕分けをしないから、軽いし、解釈の幅も広くなる。


真っ白な状態に、データを重ねていく。
すると、それが立体感を伴ってあとから繋がってくる。

そんな感覚です。

伝わりますか?(笑)

パターンで先に分類しようとするから、ややこしくなるだけで、 もしかしたら、多様性をそのまま受け取る能力が、人間にはもともと備わっているのかもしれない。

そう思うようになったのです。

世界も、”個人差”を前提にし始めている

AIによる個別医療がすでに現実になりつつあります。

その方が治療する際に合理的なのです。
人には様々な変数があるのですから、考えればその通りです。

世界はその方向に向かっている。
「個人差」を前提にした方が、精度が上がると気づき始めているのです。

この考え方は、資産運用にも似ているかもしれません。
インデックス投資が定説でも、積立額、年齢、リスク耐性は人それぞれです。
定説をベースにしながら、”自分という変数”を組み込まないと機能しない。

命の現場も考え方は同じだと思っています。

「普通はこう」をベースにしながら、目の前の個別性に合わせてチューニングしていく。
それが精度の高い向き合い方なのだと今は考えています。

確信は、ゆっくりと育つ

確信はゆっくり育ち、スッキリと分かりやすい形では、やってきません。
インスピレーションのようにポンと降りてくるものではないのです。

紆余曲折があって、本当に?という揺れや自信のなさがあって、
「これを発信して間違ってたら?」という心配や不安も、正直ありました。

正しい気がしていても、それとこれとは別の話なのです。

人間とはそういうものだと思っています。
面倒くさくて、打算的で、決してスッキリしていない。

それでも、確信は育っていったのです。

驚くことに、私も還暦まであと数年、という年齢になりました。
もう躊躇っている場合ではない、と思っています。

この入口から書く理由

正直、理解してもらえないことへの恐れが消えたわけではありません。
ただ、それよりも「言わないまま」「伝えないまま」でいる方がダメな気がするのです。

そしてこのことを、なぜ私が書くのか。

他の分野でも、同じことを言っている人はいると思います。
もっと大きな声で、もっと多くの人に届けている人も。

でも私は「ペットとの関係性」という入口から、ここに連れてこられました。

フォロワーがごくわずかな、地方都市の零細自営業者が、23年かけて辿り着いた場所から書いています。

入口が違うから、届く人も違うかもしれない。
私が書き、発信する理由としては、それで十分だと、今は思っています。

「正しいか、間違っているか」だけでは測れない感覚が、人にはあるのだと思います。

曖昧さ込みで扱う、そんなやり方、在り方を追求したいと思っています。

それが、私の
「”例外”を見続けて、辿り着いたこと」です。