アニマルコミュニケーションについて、今思うこと

※この記事は2020年に書いたブログのリライト版です。時間の経過と共に変わることと変わらないことが私の中にあるのですが、この記事に関しては私の考え方・捉え方が大きく変わったことの一つです。
アニマルコミュニケーションについて、テレビや本で知っている方も多いと思います。
私もこれまで何度も、飼い猫達の気持ちを知るために利用したことがあります。
そういう世界、本当にあるの?と疑問に思う方もいると思いますが、それは全く自然なことです。
アニマルコミュニケーションは、関心がある人もいれば、不思議現象を信じない人もいる。それでいいと思っています。
この記事を書いてから数年経ちました。
当時の私は、動物達の気持ちを第三者を通して知ることに意味と価値を見出していました。
何故なら私ができないことだったので。
答えは”声”ではなく、どう生きるかにある
今もその世界自体を否定しているわけではありません。
ただ、私自身は今、あまりそれを求めなくなっています。
なぜか。
動物達の声が聞こえるようになったわけではありません。
なんとなく感度は上がった気はしていますが、声が聞こえるわけでも、動物達や他の存在とチャネリングできるわけでもありません。
きっかけは、一時期働きすぎて自分を見失いかけたことでした。
そこから自分の内観を心がけるようになり、行きつ戻りつしながらも習慣化してきた結果、見える世界が少しずつ変化してきました。
動物達の声が正しく聞けなくても、彼らを通して自分が感じたことを自分自身に当てはめて内観することで、目的が達せられるような感覚があります。
全てを一旦自分に戻し、それから自分を調整したり整えたりする。
そんなスタンスになってきました。
ペット達は、友であり、家族であり、子供であり、また私に歩むべき道を気長に示してくれる師でもあります。
その多面性をそのまま受け入れて、「さて私はどうする?」という指針にする。
そんな感じに変化したのです。
動物の声を聞くことよりも、自分を知ることへ
ここで、もう少し本質的なところに触れたいと思います。
アニマルコミュニケーションに限らず、宇宙存在とのチャネリングという話もよく耳にします。
私自身、こうした「見えないものとの会話」について、否定はしていません。むしろ受け入れていると言っても良いくらいです。
でも、そもそもこれは何を目的としているんだろう、と考えるようになりました。
見えないものと会話ができる人、できない人はいます。
でも、それは優劣の問題でもなく、羨むべきことでもありません。
そして、できたとしても、それは人生を成功に導くショートカットのツールでは決してない、というのが今の気付きです。
だから、できる・できないに拘らなくなりました。
不思議現象の先にあるもの
最終的には、この世界でどう生きるか、どう在りたいか。
そこに帰着するのではないか、というのが今の私の捉え方です。
不思議現象そのものは、実は答えの本質ではないんですよね。
そう考えると、これは三次元的な、いわゆる地に足のついた哲学や生き方の捉え方と、結局同じところに行き着きます。
この視点に立つと、「変わらなければならない」という、ある意味“ねばべき論”的な受け止め方からも少し解放されます。
アニマルコミュニケーションもチャネリングも、ともすると「正解を外から教えてもらう」という使われ方をされがちです。
でも大事なのは、外から答えをもらうことではなく、「変化の余地あり」と自分で感じ、自分をより内面的に高めるために変わることを、主体的に受け止めることなのだと思います。
ペット達は内観の案内役
動物達は、言葉を持たない存在だからこそ、こちらの内面がそのまま映し出されやすい。
だからこそ、内観の入口として機能しやすいのだと思います。
アニマルコミュニケーションは、私にとってその入口のひとつでした。
そして今は、動物に限らず、日常の様々な場面でこの主体的な内観と変化の受容を心がけています。
それが、今の私の現在地です。
ペット達にとって、飼い主の内面の進化や変化、成長のための補佐や示唆がこの世に存在する彼らの目的なのであれば、それをキャッチして応えられる飼い主でありたい。
そんな距離感が、私の日常になっています。
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※この記事を書いた2020年当時、お世話になっていたヒーラーさんを紹介していましたが、現在は活動を休止されているようです。









