後編:2009年の夏――かんちゃん、くろちゃん編 #3

2009年、開業6年目。
シッティングは、月平均180〜190件ほど。
保護活動にも関わり、フード支援や保護猫の世話など、毎日が猫中心の生活だった。
シッター業で出会って保護した猫。
保護活動を通して迎えた猫。
振り返ると、この頃は本当に猫に囲まれて生きていた。
正直に言うと、2009年前後の記憶はあまりクリアではない。
仕事、保護活動、飼い猫の通院を含む世話が同時に重なっていた時期で、当時は目の前のことをこなすのに精一杯だったのだと思う。
そんな中、くろちゃんの体調に異変を感じたのは、彼女が15歳近くになってからだった。
予兆はあったのかもしれないが、目立った変化ではなく気付けなかった。
ある日突然具合が悪くなり、休日も診察している掛かりつけではない動物病院に駆け込んだ。
検査の結果、腎不全であることと、後ろ脚が立たない状態になっていることを告げられ、獣医師には「血栓です」と言われた。
当時、通院は、もちろん私一人で対応していた。
翌日、改めて掛かりつけで診てもらうと、「血栓」ではなく急な体調不良による一種の虚脱症状だと分かり、ホッとしたのを覚えている。
とはいえ腎臓の数値はかなり悪く、点滴に通う日々が続いた。
そして、徐々に衰弱し、、、
最期の日を迎えた。
初めての飼い猫で、初めての看取り。
泣けた。
とんでもなく泣けた。
当時の私は「死」に慣れていない、一人の飼い主だった。
別れがつらかったことと、シッター業が忙しすぎてすぐに火葬の都合がつかず、
2晩、くろちゃんを枕元に置いて寝た。
くろちゃんが亡くなったのは、2009年7月31日。
享年14歳。
姉妹猫として残ったかんちゃんは、もしかするとくろちゃん同様、腎臓が悪かったのかもしれない。
かんちゃんは、取りたてて体調は悪くなさそうだったので通院をしていなかった。
だが、それから一ヶ月も経たない翌月8月20日、部屋の隅で亡くなっているところを見つけた。
心の準備がまるでなかった。
今になって振り返ると、腎臓病による心不全だったのか、当時はまだあまり知られていなかった猫のフィラリアだったのか。
それとも別の病気だったのかもしれない。
もう原因を知る術はない。
先に逝ったくろちゃんが、かんちゃんを呼んだのかな、と思って自分を納得させた気がする。
火葬は、当時まだペット霊園の数が少なく、選択肢が5社に満たない中で選んだ。
ご家族経営の斎場で、お経や般若心経、カセットテープでペットの気持ちを代弁させるといった、様々な手法で弔ってもらった。
全てが初めてのことで、収骨も含め、くろちゃんの時も、かんちゃんの時もいちいち涙が出て仕方がなかった。
こうして書いてみると、30年経った今でも、二匹は私の自営業者として歩み始めた人生の始まりにいるのだと思う。
あの日、あの時、
へその緒のついた5匹の捨て猫に出会わなければ、その後の私の進む道は違ったものになっていたかもしれない。
くろちゃん、かんちゃんのエピソードだけで随分長くなってしまったが、今後もこんな感じで書いていこうと思う。
誰のため?
私と飼い猫達のためです。
書き始めてみると、不思議なことに私自身が忘れていたことまで思い出していきます。

次は、しろちゃんのことを書きます。









