動物たちは、ちゃんと知っている——動物たちは、人間の不完全さを受け入れている (番外編)

『シッターの目 番外編』
※この記事は、23年間、動物たちと飼い主さんの間に立ってきた、一人のペットシッターの個人的な考察です。
23年、数えきれないほどの家を訪ねてきた。
今日はちょっと本音を。
ペットシッターをしていると、本当にいろんな飼い主さんに出会う。
フードをグラム単位で管理して、体重を毎週記録して、受診記録もスプレッドシートでつけているような方。
かと思えば、「この子のペースに任せてます」と自然体で、ご飯は気が向いたときに、という方もいる。
どちらが正しいか、という話ではない。
ただ、長年見ていて気づいたことがある。
どの飼い主さんも、自分の価値観を通して、動物たちを見ているということ。
面白いのは、それぞれの方向とは逆のアドバイスをすると、途端に動きが止まるということ。
管理が緩めの方に「定期的に健康診断をしてみては?」と言う。
ガッチリ管理している方に「もう少し肩の力を抜いてもいいかも」と言う。
どちらも受け取ってもらえるには受け取ってもらえるのだが、なかなか続かない。
最初はなぜだろうと思っていた。
でも最近、なんとなくわかってきた気がする。
たぶん、それは「飼育方法のアドバイス」として届いてはいない。
「あなたの安心の置き場所、ちょっと違うかもよ」
と、指摘されているのと同じなのだと思う。
管理を強める人は、不確実なことに不安を感じやすい。
だから数値やルールに安心を置く。
緩めの方は、「ちゃんとしなければ」という感覚に圧迫感を覚えやすい。
だから自然体や、その子のペースに安心を置く。
どちらも愛情。
ただ、表現の形が違う。
管理することで守ろうとする愛情。
自由を許すことで守ろうとする愛情。
どちらにも光と影がある。
管理型は変化の早期発見に強い一方、「異常を探し続けるモード」に入りやすい。
自然体型は動物本来のペースを尊重しやすい一方、変化を見落としたり先送りしてしまうことがある。
でも本人は、自分のやり方を「普通」だと思っている。
それは当然で、価値観というのは空気みたいなもので、
自分では握っている感覚が薄い。
もうひとつ、ずっと感じていることがある。
動物たちは、飼い主に飼い方を委ねているように見えて、
実はそれを許可しているのではないか、と。
この表現、伝わるだろうか。。。
許可という言葉が適切なのかは分からない。
でも動物たちは、人間の不完全さを前提に、それでも一緒に生きているように感じる。
管理過剰でも、少し雑でも、ちょっとズレていても、
動物たちはなお、その人のそばにいる。
打算なく、ただそこにいる。
飼い主さんの価値観は真逆でも、どの子からも同じ純粋さを感じるのは、そういうことなのかもしれない。
人間が「どう愛するか」に悩んでいるあいだ、動物たちはもっと根っこのところで関わっている。
だから私は、両極端な飼い主さんを見ても、どちらとも単純にジャッジできない。
その奥に、不器用な愛情や、守りたい気持ちや、言葉にならない不安があることを知っているから。
そしてそれを、動物たちが丸ごと引き受けている場面を、何度も見てきたから。
私自身、以前は管理型だった。
今は自然型に近いと思う。
どちらも経験してみて分かったのは、型そのものより、
その型に無自覚でいるかどうかの違いだった、ということ。
ここでは分かりやすくするために「管理型」と「自然型」という二つに分けたが、
実際はグラデ―ションがある。
人はどちらか一方ではなく、その間を揺れながら自分なりの安心できる場所を探しているのだと思う。
正解はない、とよく言う。
でも本当のところは、正解がないというより、
人はそれぞれ、自分の安心できる形で世界を見ているのだと思う。
そして動物たちは、それを丸ごと、受け入れている。
そんな風に私には見えている。
私も飼い猫達にだいぶ許してもらっているような気がする。。
ペットシッター歴23年。
毎日の現場から、ぽつぽつと書いています。










