これは、今すぐに何かを立ち上げる宣言ではありません。

そして、前回の「ニャコム(仮称)構想」の続編ではありますが、あの記事と同じく、私自身がやりますという話でもありません。

前回、私は「妄想」という言葉を使いました。
今回も同じ立ち位置です。

ただ、あれから考え続けているうちに、もう少し輪郭がはっきりしてきた部分があるので、いったんここにまとめておこうと思います。

ちなみに、ニャコム構想第一弾はコチラの記事です。

動物飼育者の切なる妄想
ニャコム(仮称)構想 ―私の妄想。でも、十分に現実的だと思っているプラン高齢化社会における人とペットの共倒れを防ぐ「ニャコム構想」。見守り機器と人のケア、獣医連携を組み合わせた地域モデルを、現場経験をもとに整理しました。 ...

前回の続き、というより「もう一つの角度」

前回のニャコム構想は、高齢者とシニアペットの見守りという、わりと具体的な場面を想定したものでした。

今回考えたいのは、もう少し手前の話です。

「動物と暮らす人が、孤立せずにいられる仕組みは、そもそも作れるのだろうか」

という問いです。

見守り機器も、往診できる獣医師も、専属のシッターも、大切な要素です。
でも、その手前に「人と人のつながり」がなければ、どんな仕組みも機能しません。

そこで今回は、少し引いた視点から、「動物をきっかけにした互助ネットワーク」そのものについて考えてみたいと思います。

動物には、人と人をつなぐ力がある

初対面でも、「猫を飼っている」「犬を飼っている」というだけで、自然と会話が生まれます。

立場や年齢が違っても、「命を大切に思う」というところで、なんとなく通じ合える。

これは、動物と長く暮らしてきた人なら、感覚として分かることだと思います。

動物は、守られるだけの存在ではなく、人と人を結びつける存在でもある。

だとすれば、
動物を入口にしたコミュニティには、まだ活かしきれていない可能性があるのではないか。そう思うのです。

施設を作るのではなく、つながりを作る

保護活動、譲渡活動、老犬・老猫ホーム。
どれも大切な取り組みです。

ただ、命を預かる施設の運営は簡単ではありません。

場所、資金、人員、医療体制。
そして何より、責任が一部の人に集中してしまうという問題があります。

志のある人が始めて、その人自身が疲弊してしまう。

この構造は、動物愛護の現場で何度も繰り返されてきたのではないでしょうか。

だから今回考えたいのは、「新しい施設を作る」ことではなく、
「すでにある力をつなぐ」ことです。

犬や猫と暮らす人。
介護経験のある人。
動物病院。
トリマー。
保護活動の経験者。
情報を持っている人。
話を聞ける人、などなど。

これらはもう、社会の中に存在しています。
足りないのは、それらをつなぐ仕組みだけかもしれません。

ちょうどいい規模、というものがあるらしい

このアイデアを考えていて、一つ気づいたことがあります。

こうした顔の見える互助コミュニティは、たぶん大きくしすぎないほうがいい

せいぜい100〜150人くらいが、無理なく機能する規模なのではないか、という感覚です。

調べてみると、人が安定した信頼関係を維持できる人数の上限として、進化人類学の分野で150人前後という数字が昔から言われているそうです。

偶然ではなく、人の認知の仕組みそのものに根ざした制約なのかもしれません。

実際、それに近いコミュニティは今もすでに存在しています。

それが大きく発展していかないのは、規模が足りないからではなく、その規模自体がちょうど妥当だから、という可能性もあります。

では、広げたい時はどうするか

100〜150人が適正規模だとして、それより大きな輪にしたい場合はどうするか。

一つのセルを無理に大きくするのではなく、小さなセルをいくつも束ねて、上位の組織が調整役を担う。
そういう二層構造なら、成り立つのではないかと思います。

これは、まったく新しい発想というわけではありません。

生協の単位組合と連合会。
消防団の分団と本部。
自治会と学区単位の連合会。

どれも、小さな単位の自治を尊重しながら、それらを束ねる仕組みがすでに稼働しています。

公共性の高い分野ではありますが、「近い運用形態」がすでに社会の中にある、というのは、私にとって一つの発見でした。

動物を接点にしたネットワークも、同じ構造を借りられるのかもしれません。

一番の壁は、お金でも仕組みでもなく「人の問題」

正直に言うと、こうした構想の一番の壁は、動物のことではありません。

参加者同士のトラブル。
個人情報の扱い。
医療判断。
費用負担。
責任の範囲。

つまり、人の問題です。

動物の預かりを申し出たい気持ちがあっても、「もし何か起きたら」と思うと、二の足を踏む。

運営する側になればなるほど、それは切実な懸念になります。

だからこそ、ここは曖昧にせず、きちんと設計しておく必要があると思っています。

例えば、運営を法人格のある形にして、参加者から月に数百円程度の会費を集める。
集めたお金は運営費というより、まず預かり中の事故に備える保険の原資に充てる。

金銭的な関わりがまったくない相互扶助は、一見美しく見えて、実は「困った時だけ顔を出す人」と「普段から支える人」の間に不公平感を生みやすいものです。

少額でも会費という形でコミットメントがあると、参加者の当事者意識も、継続のしやすさも変わってくるのではないかと思います。

AIという、新しい協力者

こうした仕組みを考えるとき、これまでになかった協力者もいます。

それがAIです。

人間だけでは見落としがちな論点を洗い出したり、複雑な条件整理を手伝ってもらったりすることができます。

私自身、この構想も、AIとの対話を重ねながら少しずつ言葉にしてきました。
ただ、考えの中身や方向性は、あくまで自分の現場経験から出てきたものです。

AIは、それを整理し、既存の知見と照らし合わせて輪郭をはっきりさせる手伝いをしてくれる、そういう存在だと捉えています。

もう一つの接点:過疎が進む田舎という現場

ここからは、少し個人的な話になります。

私はいずれ、人口3万人に満たない実家の町に戻る予定でいます。

そこで感じるのは、動物のこと以前に、若い人がとにかくいないという現実です。(笑)

そう考えると、動物を接点にしたこのネットワークの発想は、過疎の進む地域そのものの支え合いとも、根っこの部分でつながっている気がしています。

顔の見える範囲で、できることを持ち寄る。
上位の仕組みが調整役を担う。
会費や保険で、支える側の不安を減らす。

これは、動物がいてもいなくても、人が少なくなっていく地域で暮らしていくための、一つの考え方の型になるのではないか。そんな予感があります。

今の私にできるのは、それを具体的に動かすことではなく、こうして考え方の土台を、少しずつ言葉にしておくことくらいですが。。

理想形は、案外近くにあるのかもしれない

会費や保険や連合構造の話をしていると、どうしても「仕組み」の方に意識が寄っていきます。

でも、本当に目指したい着地点は、もっと肩の力が抜けたものです。

藤野千代さんの小説「団地のふたり」を読んだとき、これだ、と思いました。

古い団地の住人同士が、網戸の張り替えや買い物代行、花壇の植え替えといった、ごく小さな頼みごとを、自然に、そして平和に請け負い合っている。

誰か一人が背負うのでもなく、大げさな「支援」でもない。
あのくらい力の抜けたつながりが、私の理想形です。

仕組みやルールは、あの空気感を守るための土台であって、目的ではありません。
そこだけは、忘れずにいたいと思っています。

なぜ、今回も「妄想」として語るのか

今すぐ、私がこのネットワークを立ち上げるつもりはありません。
妄想の段階なので、完璧な設計だとも思っていません。

本格的に着手するとなると、やらなければならないことが山のようにあり、正直、腰が引けます。苦笑

ただ、もしこんなネットワークが実際にあったら、私は参加したいと思っています。
人の役に立てるのは、私にとっても嬉しいことだからです。

その一方で、負担が一部の人に不公平に偏る形には、正直、関わりたくありません。
だからこそ、会費や保険といった仕組みの部分は、曖昧にしたくないと思っています。

というわけで、今回もまた、他力本願なお願いで締めくくろうと思います。(^-^;

どなたか、このアイデアを補完して、形にして頂けないでしょうか。(笑)

その時は、直接手を動かすのは難しくても、経験や知識でサポートすることくらいはできるかもしれません。

終わりに

動物を守ることは大切です。

でも、動物だけを見ていては、本当の問題には届かないことがあります。

動物を取り巻く環境を作っているのは、人です
だからこそ人もまた支えられる必要があります

これは、動物を救うためだけの話ではありません。

動物をきっかけに、人と人がつながり、支え合える土台を育てること。

それが結果として、人にとっても、動物にとっても、そして過疎の進む地域にとっても、安心して暮らせる未来につながるのではないか。

その問いを、ここにもう一度、投げかけておきたいと思います。

ふぬけ猫になる!

「常に気を張っていないと生きられない世界」から
「腑抜けでも生きていける世界」へ。
そんな世界になったらいいなぁと思っています。(^-^;

ふぬけ猫の夢

『妄想は、時に未来の設計図になる!』
かも。。

ABOUT ME
西山 早苗
約12年間の会社員経験を経て、2003年に福岡市東区にてペットシッターMojo Mojoを開業。気づけば、地域で最も長く続くペットシッターの一つになりました。 23年間のシッター業務、保護活動、そしてトータル30匹を超える飼い猫たちとの日常を通して感じたこと——看取りや介護、動物たちの心身の健康、飼い主さんとの関わりで気づきを得ました。 長年の現場経験をベースに、時代の変化も取り入れながら、飼い主の皆さまのお役に立てるよう日々取り組んでいます。