50代、地方都市のペットシッターが「次の社会」の形をAIと共に考えてみた

新自由主義と聞いて、どんなイメージを持ちますか?
格差拡大、自己責任、企業の利益優先、雇用の不安定化…。
おそらく、あまりポジティブな印象はないかもしれません。
地方都市で細々と自営業を営む私にとって、それは遠い理論の話ではなく、肌で感じてきた身近な問題です。
正直に言うと、私は新自由主義のことを「金持ち達の世界を巻き込んだお金もうけのフェスティバル」だと思っていました。(笑)
大多数の庶民は、その根底にある意図や目標を理解できずに、きっと私と同じようなことを考えていたはずです。
私が社会のあり方に強く違和感を抱くようになったのは、コロナ騒動がきっかけでした。
不安の中で、私たちは何が真実で、何がそうでないのかを見極めることが難しくなりました。
その過程で、世の中の出来事を深く理解するためには、いわゆる陰謀論とも言われる話にも耳を傾ける必要があるのではないか、と考えるようになりました。それは今も進行形です。
しかし同時に、現状を理解するのに都合の良い陰謀論にばかり重きを置くことに、疑問も抱いていました。
そんな葛藤の中にいたとき、ある一冊の本に出会って、私の考えが覆されたのです。
斎藤ジン氏の『世界秩序が変わるとき 新自由主義からのゲームチェンジ』
この本は、私に「新自由主義には、彼らなりに目指した理想があった」という、衝撃の事実を教えてくれました。

新自由主義は、なぜ生まれたのか
新自由主義が掲げた理想。
それは、「政府の介入を最小限にし、誰もが平等なスタートラインから自由に競争できる社会」でした。
政府が経済に介入しすぎると、特定の企業や団体が優遇され、既得権益が生まれます。新自由主義は、そうした癒着や不公正をなくし、努力した分だけ報われる社会を目指したのです。
一部の特権階級ではなく、すべての人々に機会を与えるという点で、実は非常に崇高な理念を持っていたと言えます。
しかし、現実はどうだったでしょうか。
市場万能主義は行き過ぎ、一部の巨大企業による独占や、無秩序なグローバル化による賃金競争が生まれました。
政府によるセーフティーネットが縮小される中で、勝者と敗者の格差は広がり、社会は分断されていったのです。
螺旋階段を上るように、私たちは次へ向かっている

新自由主義の失敗をただ批判するだけでは、何も解決しません。
大切なのは、その失敗から何を学び、次世代に何を残すかです。
私たちの社会は、螺旋階段を上るように少しずつ進化しているという説があります。
同じ場所をぐるぐると回っているように見えても、少しずつ高いところへ進んでいる。
共産主義も新自由主義も、それぞれ「全体」と「個人」を極端に追求してうまくいかなかった。
その反省を経て、私たちは新しいフェーズに差し掛かっているのではないでしょうか。
その兆候は、SDGs(持続可能な開発目標)のような概念に表れています。
正直に言うと、私はこのSDGsに対しても、最初は懐疑的な目を向けていました。
新自由主義で勝者となった人たちが、世の中に対する「隠れ蓑」として採用した、単なるきれい事ではないか、と。
利益ばかりを追求してきた企業が、こんな理想を真摯に追い求めるはずがないと思っていたのです。
しかし、新自由主義が掲げた理想を知ることで、その考えは少し変わりました。
SDGsの掲げる項目は、確かに理想です。
そして、その理想を追求することは、新自由主義が置き去りにした**「社会全体が共有する財産」**を守ろうとする、新しい協調の形なのだと気づいたのです。

安易な「大きな政府」への回帰や、行き過ぎた右傾化は、その選択肢ではありません。
政府がすべてをコントロールしようとすれば、再び既得権益が生まれかねませんし、安易な右傾化は、私たちが大切にすべき「国民に主権がある」という原則を脅かす危険性があります。
そうではなく、私たちは新自由主義がもたらした「自由」の利点を活かしつつ、その欠点を補うような新しい動きを生み出そうとしています。
SDGsはその象徴であり、地域コミュニティの再構築や、誰もが安心して暮らせるためのベーシックインカムへの関心も高まっています。
一市民としてできること

壮大な理想を語るだけでは片手落ちです。地方の一自営業者として、この考えをどう日々の営みに反映させていくか。
私が出した一つの答えは、「小さな経済圏」の循環と「見えない価値」に意識を向けることです。
例えば、自営業者であれば、商売で地元の生産者から仕入れた材料を使い、お客様を「地域の仲間」として大切にすること。
梱包材を環境に優しいものに変える、といった小さなことでも、それは「SDGs」の精神に通じます。
効率や利益といった数字には表れませんが、お客様や地域の人々との信頼関係、そして「心の豊かさ」という、新自由主義が軽視してきた「見えない価値」を育むことができます。
日々の営みに対してこれまで以上に意識を向け、小さな幸せに対する感度をあげて社会を俯瞰してみる。
これが、私たちが道を間違えないようにするための、小さいけれども大切な一歩だと信じています。
「当たり前」ではない、平和と主権を自覚する
先日行われた参議院選挙を通じて、私は、平和憲法の真の意味と、国民に主権があることの重みを改めて痛感しました。
当たり前のように享受してきた「平和」や「自由」は、実は空気のようにそこにあるのではなく、私たち一人ひとりが意識して初めて享受できるものであることを自覚する必要があるのだと。
新自由主義という大きな波の中で私たちは多くのものを失い、多くの歪みを経験しました。
しかし、その経験を糧にして、私たちはより公正で、より持続可能な社会を築けると信じたいです。私たち人間に望まれることは退化ではなく進化なのですから。
そして、次にくる社会は

結局のところ、共産主義も新自由主義も、それぞれ「全体」と「個人」という一方向を極端に追求してうまくいきませんでした。
全体主義も個人主義も結果が出せなかったその次にくる社会は、おそらく特定の「〇〇主義」と名付けられるものではないでしょう。
それは、特定の主義に縛られるのではなく、「ハイブリッドな社会」。
すなわちそれぞれの主義の良い点を柔軟に取り入れ、調和させる社会なのではないでしょうか。
共産主義から「平等」の精神を、新自由主義から「自由」の精神を学び、そのバランスをどう取るかを模索する時代です。
その新しい社会において、私たちような一市民が抱いた「どうやってこの考えを日々の営みに反映させるか」という問いと実践こそが、大切な羅針盤となりえます。
そして、もはやその存在を無視することは不可能となりつつあるAIは、その知恵と行動を後押しする強力なサポーターとなり得るでしょう。AIの使い方は私たちにかかっているのです。
人々や動植物、ひいては地球に優しい世の中にしていきたい。
我々人間がどうか道を間違えませんように。
そう願ってやみません。

外側からもたらされることに翻弄され続けるのではなく、私たちがまだ気付いていない自らの内側にあるものに目を向けて自分を信じて満たしていく。
これを地道に繰り返すことで自信が生まれ、その自信が他を尊重する土台となり、自分の外側に対する視点や受け止め方を良い方向に変化させていく。
このことが好循環を生み出す鍵なのかもしれませんね。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。




