私はこれまで数本のブログでペットシッターという仕事を構造として整理してきました。
「広がり」、「年齢による役割の変化」、そして「感情労働」。

けれど、その分析の足がかりとなる日々の業務をしていた時、私は一度、自分の足場を完全に見失ったことがあります。

好きで始めたはずの仕事なのに、ある日突然、
「私はどこに向かっているのか分からない」

と感じた瞬間。

今日は、突然訪れたその“空白”の日のことを書きます。

これは福岡で23年、ペットシッターとして走り続けてきた私が、一度だけ足場を見失った時のお話です。

突然やってきた「空白」の瞬間

それは2016年か17年頃のことでした。
ペットシッターとして開業して10数年。
キャリアの中でもっとも仕事量が多く、心身を削りながら走っていた時期です。

朝夕のシッティングの合間、出席必須の講習会に私は参加していました。
会場となったホールのやや薄暗い光。配られた資料の紙の匂い。前方で淡々と進む説明。

椅子に腰を下ろし、「よっこらしょ」と息をついた、その瞬間でした。
突然、自分の足場が消えたような感覚に陥りました。

暗闇でもない、
何かを掴もうにも、掴むものが何もない。
上下も奥行きもない、

空っぽの空間に放り出された感覚です。

やるべきことは山ほどある。
スケジュールも、タスクも、責任も、目の前に積み上がっている。

それなのに、
「何をすればいいのか分からない」
「私はどこに向かっているのか?」
「そもそも、何を目指してここまで来たんだっけ?」

方向だけが、一瞬で消えたのです。

講習の内容は一行も頭に入りませんでした。
目は前を向いているのに、内側は完全に空白。

凄まじい虚無感のようなものに包まれたのです。

あれは、身体より先に心が限界を知らせた瞬間だったのだと思います。

月間300件と、止まれなかった理由

当時のシッティング件数は、常時200件前後。
多い時は300件に達していました。

スタッフが一人いて、全体の3〜4分の1を担ってくれていました。
それでも現場業務だけではなく、予約管理や経理、連絡調整といったデスクワークもすべて抱えていた私の脳内は、常にフル回転でした。

今なら分かります。

ここまでやれば、壊れる。

けれど当時の私は、その数字を「必要とされている証」だと信じて疑いませんでした。

仕事を失うのが怖い。
それ以上に、「役に立たない自分」になるのが怖い。

無意識の中で、
仕事量 = 存在価値

という式が出来上がっていたのです。

だから止まれなかった。

休むことは怠慢。
止まることは後退。

そう思い込んでいました。

足元にあった“別の正解”

実は当時、私のすぐそばには別の在り方を見せてくれる人がいました。

シッター業を手伝ってくれていたスタッフです。
彼女は仕事をきちんとこなしながらも、生活のバランスを崩さない人でした。

視野が狭くなっていた私は、正直に言えば、そんな彼女を見て「もっと仕事に全振りすればいいのに」と感じることもありました。

今なら分かります。

石頭だったのは、私です。

彼女は、私がワーカホリック寸前であることに気づいていたはずです。
それでも非難せず、介入せず、自分のペースを崩さなかった。

本当に大人だったのは、彼女の方でした。

壊れる道しかなかったわけではない。
別の選択肢は、すでに足元にあったのです。

その彼女とは今では、よい関係を築いています。

10年かけて辿り着いたこと

あの頃の自分に声をかけるなら、迷わずこう言います。

「止まれ。止まることは、崩れることじゃない。」

けれど当時の私には届かなかったでしょう。
価値観そのものが硬直していたからです。

その構造を解体し、再構築するのに、ほぼ10年かかりました。

でも、その時間は無駄ではありませんでした。

10年の間、私はかなりもがきました。
本も読みましたし、仕事の外に答えを探し、ビジネスコンサルの力も何度か借りました。

けれど劇的に変わったわけではありません。
価値観は、整理してもすぐには剥がれない。
何度も元に戻りながら、少しずつ再設計していったのです。

今も完成したとは思っていません。
私はまだ発展途上です。

ただ、以前のように“証明のために走る”ことはなくなりました。

成長したいという欲はある。
けれどそれは、欠乏からではなく、好奇心からのものです。

振り返れば、それは発酵期間のような時間でした。

今は心からこう言えます。

何もしなくても、私は価値がある

そして同時に、何かをしたいと思う自分も否定しません。
それは価値の証明のためではなく、創造のためですから。

この違いは、実感として人生の質を変えます。

できることと、健全であることは別

同業者のみなさんへ。

「できること」と「健全であること」は、別物です。

件数を回せることと、心が枯れないことは、同義ではありません

責任感が強い人ほど、自分の削れに気づきません。

もし今、「何のためにやっているのだろう」と感じる瞬間があるなら、それは終わりではなく、再設計のサインです。

休むことは逃げではありません。
再構築です。

どうか、自分を追い込むことを誠実さと呼ばないでください。

今、あなたの足場はどこにありますか?

これから

この一連の考察をもって、23年間続けてきたペットシッターという仕事の構造的分解は一区切りにします。

これからは、現場で削れた経験と、再構築にかけた10年の試行錯誤。
その両方を土台に。「ホリスティックナビゲーター」としても歩んでいこうと思っています。

走る人も、立ち止まる人も、どちらも否定しない立ち位置で。

ペットとその飼い主さんを中心に。
そして、求められれば現役シッターさんの後方支援として。

私にできる形で、関わっていきたいと思います。

目下、その準備中です。

追記

最近ようやく、こう思えるようになりました。

「もしかして私は、この仕事をやりきったのかもしれない。」

昔から私は、仕事に自分を完全投影するタイプでした。

生き方の中心に仕事を置くことが心地よかったし、常に成長していないと落ち着かない、いわば「成長病」にかかっていた自覚もあります。

だからこそ、人生の4分の1近くを占めるであろうこの25年弱を、きちんと振り返りたかった。(100歳まで生きるつもりです。笑)

自分が何に取り組んできたのか、曖昧なままに終わらせたくなかった。
自分のエゴにも、ちゃんと答えを出したかった。

時間をかけて整理しました。

何度も壁打ちのような対話を重ねました。


その結果、今はとてもすっきりしています。

良いことも、そうでないことも、
感動も、悲しみも、悔しさも、怒りも、焦りも、虚しさも。

本当にいろいろあったけれど、

「まあまあ、よく頑張ったんじゃない?」

今は、そう言ってあげられます。

私はこの道を通るしかなかったのかもしれません。


これまでのシリーズ記事

ペットシッターという仕事を構造として整理したシリーズはこちらです。

この一連の考察が、どこかで誰かの再設計のヒントになれば幸いです。