ペットシッターという仕事の成熟 ③ 感情労働は、報われているのか

ペットシッターの仕事は、動物のお世話だと思われがちです。
けれど実際には、飼い主の人生の節目に深く関わる仕事でもあります。
入院、介護、看取り、そしてその後。
人の家庭に入るということは、生活だけでなく感情にも触れるということです。
この仕事には、作業時間では測れない消耗がある。
それを一般に「感情労働」と呼びます。
やりがいは確かにあります。
しかし、それは報酬の代わりになり得るのでしょうか。
今回は、現場で起きた出来事を通して、この問いを整理してみたいと思います。
ペットシッターとして巻き込まれた5つの現場から
ペットシッターの仕事は、一見「動物のお世話」という平和な仕事に見えるかもしれません。
けれど、その実態は、飼い主さんの人生の節目、それも、最も過酷で孤独な場面に深く入り込み、その感情を共に背負う場面が少なくありません。
先日、「感情労働」という言葉を改めて考える機会がありました。
介護士、看護師、保育士、獣医師、そしてペットシッター。
人と命に関わる仕事には、必ず感情が付随します。
他にもありますが、ここでは代表的なものを挙げています。
看護師の平均年収はおよそ480〜520万円前後。
介護職は300万円台。
保育士は400万円前後。
勤務医の獣医師は350~650万円位
数字の差はあります。
けれど、感情労働が十分に評価されているかと問われれば、簡単には頷けません。
夜勤込みの給与。
死と向き合う現場。
家族との板挟み。
理不尽な要求。
これらは査定項目に明確に数値化されているわけではない。。
感情は「やりがい」として扱われやすい。
そして、やりがいは報酬の代わりにされやすい。
この構造は、ペットシッターという仕事にも静かに存在しています。
作業に対して料金をもらう。でも消耗するのは関係性
ペットシッターの場合、30分の移動。1時間のケア。
価格は作業時間で決まります。
けれど実際に消耗するのは、
・飼い主の不安
・罪悪感の受け止め
・もしもの責任
・予測不能な展開
・関係性の調整
です。
私は約20年この仕事をしてきました。
振り返ると、少なくともすぐに思い出せる範囲で5回は、生死や病気に深く巻き込まれています。
① 余命宣告を受けた飼い主さん
入退院を繰り返す中で、病院へ必要なものを届けることもありました。
最終的にその方は亡くなり、その方の希望もあって私は残された猫ちゃんを引き取りました。
当時の私には、他の選択肢があるとは思えませんでした。
後日いただいたお礼の額を見て、これほどまでに信頼されていたのかと、正直驚きました。
信頼は重い。
そして、ありがたい。
けれど、その重さは金額では測れません。
こちらの飼い主さんのようにお気持ちを金銭で表現してくださる方はかなり稀なケースです。
② 同世代の方の終活
余命宣告を受けていた同世代の飼い主さん。
すべてを打ち明けてくださり、最終的に飼われていたハリネズミを預かることになりました。
若くして終活を進める姿は、静かな衝撃でした。
その場では冷静に話を聞きながら、帰りの車で深く息を吐いたのを覚えています。
③ 退院の目処が立たない高齢者宅
高齢猫2匹を残しての長期入院。
家は、いわゆる最上級のゴ〇屋敷でした(笑)。
掃除に奔走しながら1年半関わり、遠方に住むご親戚宅へ引越しさせるのが忍びなく、最終的に猫ちゃんたちは私の元へ。
体力よりも消耗したのは、「この先が見えない」ことでした。
④ 長期入院と“家族のような距離”
洗濯物を届け、受け取り、ほとんど家族のような関わり。
退院されましたが、今でも電話が鳴ると少し身構えます。
安心と同時に、緊張もある。
これもまた、感情労働の一部です。
⑤ 精神疾患を抱える飼い主さん
パニック発作を起こす方。
遠方の家族に代わって私が関わりました。
こだわりの強い方で、良かれと思ったことが裏目に出ることもありました。
猫ちゃんは2匹いたのですが、遠方にお引越しされるタイミングで私が1匹を引き取りました。
不安定な状態で2匹のお世話をするというのは双方にとって良いこととは思えなかったからでした。ご家族もそのことに安堵してくださいました。
とはいえ、正解だったのかどうか、今でもときどき考えます。
こうして並べて振り返ると、私は相当なお人好しです(笑)。
でも、不思議と後悔はありません。
やり過ぎたとも思っていない。
でも、ひとつだけはっきりさせておきたいのです。
善意は、無料ではありません。
こちらの性格や立場を見て、
「きっと何とかしてくれるだろう」と
ダメ元で困りごとを持ち込む人が、時折います。
これは保護活動界隈ではもちろん、シッター業でも割と“あるある”です。
ですが――
そこは完全にNGです。
言葉は選んでますが、数倍返しは覚悟してください。
はぁ?バカ言ってんじゃねぇ!(怒)ということです。
(↑全然言葉を選んでない。笑)
引き受けるかどうかを決めるのは、私です。
優しさや共感は私の選択であって、義務ではない。
感情労働は、自発的である限り尊いかもしれません。
しかし、期待され始めた瞬間に搾取へ変わる。
この境界線が曖昧になると、人は静かに削られていきます。
やりがいは、報酬の代わりになるのか
やりがいはあります。
命に関わる責任。
信頼される重み。
誰かの最終局面に立ち会う意味。
けれど、それが報酬の代わりになるのかと問われれば、違う気もする。
やりがいは「精神報酬」
お金は「生活報酬」
種類が違う。
社会はしばしばこの二つを混同します。
では、どうするのか?
感情労働は、きれいに整理できるものではありません。
やりがいもある。
消耗もある。
どちらか一方では語れないのが、この仕事の現実です。
拡張していく役割の中で、
どこまで関わるのか。
どこで距離を取るのか。
その答えは、一つではないのでしょう。
私自身も、明確な線を引けているわけではありません。
状況に応じて揺れ動きながら、その都度、自分の納得できる位置を探しています。
私はこの問題を誰かの責任として糾弾したいわけではありません。
でもここに気付いてしまった。
社会は強い力で一気に変わるものではなく、
少しずつ形を変えていくものだと感じています。
ペットシッターという仕事も同じです。
利用者と提供者のどちらか一方が無理をするのではなく、
互いに期待や距離を調整しながら答えらしきものを探していく。
その積み重ねの中でしか、本当の意味での成熟は生まれないのかもしれません。
やりがいだけでは続かない。
けれど、やりがいがなければ選ばない仕事でもある。
その揺らぎを抱えたまま、私はこれからも柔軟に関わっていこうと思っています。
追記
ペットシッター市場は、縮小産業ではありません。
・2024年時点で約100〜110百万USD規模(約140〜170億円)。
・2030年には約200〜210百万USD規模へ拡大すると予測されています。
年平均成長率はおよそ15%前後。
数字だけ見れば、明らかな成長産業です。
けれど、成長しているからといって、その中でどう関わるべきかの正解が用意されているわけではありません。
前線で走る人もいる。
立ち止まりながら支える人もいる。
どちらが正しいという話でもない。
拡大している市場の中で、自分はどの立ち位置を選ぶのか。
それは、それぞれの選択に委ねられています。
シリーズあとがき:正解のないグラデーションを歩く
このシリーズを通して、私が23年間ペットシッターとして見てきた景色を綴ってきました 。
読み終えた方の中には「結局、どこまでやればいいの?」「どうやって自分を守ればいいの?」という明確な答え、いわゆる「マニュアル」を求めたくなった方もいるかもしれません。
しかし、私はあえてマニュアルらしきものを提示しませんでした。
なぜなら、現場で起こる現象への感受性は人それぞれであり 、そこには感情、思考、感性が複雑に混ざり合った「グラデーション」があるからです。
あるシッターにとっては心地よい距離感が、別の人にとっては耐え難い消耗になることもあります 。
自力で模索することの価値
この仕事に「一様の正解」はありません 。
大切なのは、誰かが決めたルールに頼ることではなく、目の前の命と飼い主さんに向き合い、揺れ動きながら、自分なりのスタイルを模索し続けることです。
- 現場を読み、仮説を立て、実行する
- うまくいかなかった経験さえも糧にする
- 「自分にとっての納得できる位置」をその都度探す
このプロセス自体が、あなただけの専門性となり、信頼という形でお客様に届くのだと私は信じています 。
最後に
ペットシッターという仕事は、若さで広がり、経験で深まる、余白の大きな職業です 。
あなたが今、もし境界線に悩み、自分の立ち位置を測りかねているのなら、それはあなたが誠実に「命」と「人」に向き合っている証拠です。
その揺らぎを否定せず、あなただけのグラデーションを大切に育てていってください。
私のこの23年の記録が、どこかで模索し続けているあなたの、小さな灯火(ともしび)になれば幸いです
最後までお読みいただきありがとうございました。



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