ニャコム(仮称)構想 ―私の妄想。でも、十分に現実的だと思っているプラン


これは、今すぐに事業として立ち上げる計画ではありません。
そして、感情だけで描いたふわっとした理想というわけでもありません。
長年、ペットと暮らす人々の生活の現場を見てきた中で、
「もし、私に十分な資本と時間があったなら、ここに本気で取り組みたい」と思える構想です。
いわば、私の妄想。
けれど、制度・人・お金・地域という現実を踏まえた、実現可能な妄想だと思っています。
問題意識の出発点

人とペットが共に年を重ねていく社会は、すでに始まっています。
・シニア期に入った飼い主
・高齢期に入ったペット
・家族はいるけれども遠方
・或いは、ほぼ一人で抱えている生活
この組み合わせが重なるほど、暮らしは静かに不安定になっていきます。
現状でも制度はあります。
医療も福祉も存在します。
ですが現実には、制度と生活のあいだには、かなり大きな隙間があります。
そこを埋めているのは、たいてい
・個人の頑張り
・善意
・無理
です。
私は、この構造そのものに限界があるのでは?と感じています。
これからは「小規模コミュニティ」の時代

大きな仕組みは、これからも必要です。
ただし、それだけで全員を支えるのは難しい。
だからこそ、
価値観が近い人同士が、無理のない範囲でつながる小規模コミュニティ
が、これからますます重要になると考えていますし、そういう声はあちこちで上がって既に動き始めている人も割といます。
・助ける/助けられるが固定されない
・顔が分かる
・生活感覚が近い
このサイズ感です。
SECOMならぬ「ニャコム(仮称)」という発想

仮に名前をつけるなら、「ニャコム」。
異常が起きたときだけ駆けつける仕組みではなく、日常をゆるやかに見守る仕組みです。
技術は、あくまで補助
・自動給餌機
・自動給水機
・必要に応じて自動トイレ
・見守りカメラ(オン・オフは飼い主が完全に主導)
目的は管理ではありません。安心材料を増やすことです。
中核は「人」
・顔が分かる専属ペットシッター
・往診対応ができる獣医師
・地域ごとに無理のない範囲での対応
これは単なるサービスではなく、人が介在する見守りの共同体です。
現実的な最大の壁:住宅

「高齢者 × ペット。」
この組み合わせは、住宅市場ではまったくもって歓迎されません。心当たりのある方は多いはずです。
考えられる現実的な選択肢は限られています。
・アパートやマンションの借り上げ
・理解ある大家・地主との長期契約
・地方における空き家・借家の活用
特に地方では、
・空き家問題
・高齢化
・移住者不足
が同時に存在しています。
ここに
・Uターン、Iターン支援
・自治体の移住施策
をどう組み合わせられるか。
簡単ではありませんが、机上の空論でもありません。
自治体や制度との距離感

この構想は、行政に丸投げするものではありません。
ただし、
・すでに存在している制度
・使われていない支援
・分かりにくい情報
これらを共有し、翻訳し、使える形にすることは可能です。
医療や福祉についても同様です。
重要なのは、
・受け身だけの参加者にしない
・調べる人、支える人が自然に生まれる構造
です。
場合によっては、その道のプロのサポートを得ることも良さそうです。
シニアといっても最近のシニアは情報収集にも長けている人も多いですし、それぞれの人生で経験を積んでいますので相互扶助については一方的にサービスを受けるということを
ヨシとしない人も多いのではないかと思っています。
それにニャコム構想はシニアに限定する必要はないのです。
「動物」で繋がり展開していくことが主な目的ですから。
技術進化や価値観の変化を味方として取り込む

この構想は、人の手やつながりを中心にしています。
ただしそれは、技術を否定するという意味ではありません。
むしろ今後は、AIをはじめとする技術進化を、生活の下支えとして自然に取り込むことが重要になると考えています。
AIが担える可能性のある領域
・日常の見守りデータの整理と傾向把握
・給餌・給水・排泄などの微細な変化の検知
・異常値が出た際の一次アラート
・人には見えにくい変化を、分かりやすく翻訳する役割
これらは、人を置き換えるものではありません。
人が判断するための材料を整える役割です。
現在、私たちが日常的に触れているAIの技術は、氷山の一角にすぎません。
研究開発の現場では、より高度で実用的な技術が静かに進んでいるはずです。
それらが生活レベルに降りてきたとき、
・不安を減らす
・判断を助ける
・人の負担を軽くする
そうした形で活用できる余地は十分にあります。
重要なのは、技術に生活を合わせるのではなく、生活に技術を合わせることです。
また、医療についても技術進化と並行して、今後は「自然なものへの回帰」や「人間のもつ本来の力」を引き出す、いわゆる予防を目的としたケアへの関心や転換の可能性も今以上に高くなると予想しています。
自分の身体についてより適切に、より自発的にメンテナンスしていこうという考え方が広がっていくはずです。
人間と主に犬や猫の健康情報は「イコール」ではないにせよ、そのまま動物達に適用できることも少なくないので関心は高いはずです。
代替医療が「代替」ではなくなる日もそう遠くないと思っています。
動物がつくる「人と人の接点」
この構想の中心にあるのは、ペット・動物という存在です。
動物は、人と人を自然につなぐ力を持っています。
・散歩での何気ない会話
・体調の話題をきっかけにした情報交換
・共通の心配事や喜び
こうした接点は、無理に作るものではありません。
動物が媒介となって、自然に生まれるものです。
また、ペットと暮らすことは、内向きになりがちな日常から人を外へ連れ出します。
・今日は調子がどうだろう
・少し顔を見に行こう
・誰かに相談してみよう
この小さな行動の積み重ねが、孤立を防ぎます。
役割を持つことは、生きる歓びにつながる
人は社会的な生き物だと言われます。
これは本能に組み込まれている私たちの習性ともいえます。
誰かの役に立っていると感じられることは、年齢や立場に関係なく、生きる力になります。
このコミュニティでは、
・情報を調べる人
・声をかける人
・動物の様子に詳しい人
・外との窓口になる人
それぞれが無理のない役割を持ちます。
大きな責任ではありません。
できることを、できる範囲で。
その役割があることで、人は「守られる側」だけでなくなります。
一番避けられがちで、一番重要なテーマ

飼い主が亡くなったとき、ペットはどうなるのか。
これは、誰もが考えたくない現実です。
しかし、必ず起こります。
この構想では、
・事前にルールを決める
・一時保護、引き継ぎの仕組みを持つ
・命を個人の責任で終わらせない
ことを前提にします。
これは優しさの話ではありません。
覚悟の話です。
なぜ「妄想」として語るのか
私は、この構想を
・今すぐ事業化するつもりはありません(というか先立つものにアテがありません)
・完璧な計画だとも思っていません
だからこそ、妄想として提示します。
現状に私と同じ違和感を持っている人
すでに現場に近い場所にいる人
その誰かの思考が一歩進めば、それで十分です。
終わりに
改めて、これは私の妄想です。
でも、もし私に
・十分な資本
・時間
・仲間
があれば、現実に取り組む内容です。
人もペットも、孤立せず、安心して年を重ねられる社会。
その方向を指し示すこと自体は、今でもできると思っています。
この文章が、どなたかの思考の材料になれば幸いです。
そろそろ地球に優しい世界づくりに舵を切らなければ、とってもまずいことになるのでは?という危惧もありますので今回まとめてみました。
最後までお読みくださってありがとうございました。



