立ち止まり続けることは、彼らの歩みをも止めてしまうということ

ペットロスという言葉は、非常に扱いが難しいものです。

少しでも踏み込んだことを書けば「冷たい」と言われ、かといって当たり障りのない言葉だけを並べれば、本意は伝わりません。

それでも、私は長年ペットシッターの仕事をしてきて、そして30頭近い飼い猫たちを自分の手で看取ってきた経験から、どうしてもお伝えしたいことがあります。

これはグリーフケアといわれる体系的な知識ではなく、何度も命を見送り、その都度自分の内側と向き合い続けた末に辿り着いた、私なりの経験と、それによって得られた誠実な結論です。

「悲しむこと」と「留まること」の違い

まず、ペットロスになることは、ごく自然な反応です。

後悔し、自分を責め、悲しくて立ち止まる。

それは、愛していたからこそ起こる感情です。
私は、その悲しみ自体を否定したいわけではありません。

ただ、長く現場にいて感じる「違和感」もあります。

誤解を恐れずに申し上げると、

ペットロスだと公言し続ける方の中には、亡くしたペットではなく「可哀想な自分」に、無意識のうちにベクトルが向いてしまっているケースがあると感じるのです。

「私はこんなに傷ついている」「立ち上がれない」という状態が、いつの間にか安全な居場所になってしまう。

私はそこに、危うさを感じます。

「見えない」ことは「不在」の証明ではない

ここで、一つ物理的な事実に目を向けてみてください。

私たち人間が肉眼で捉えることができる「可視領域」は、この世界のわずか数パーセントに過ぎないと言われています。

紫外線や電波が、目に見えずともそこに在り、私たちの生活を支えているように、肉体を脱いだ彼らもまた、その「数パーセントの外側」へ移行したに過ぎません。

死は終わりではなく、周波数の変化を伴う通過点です。

天に還り、十分に癒された彼らは、残してきた飼い主のことをいつも気にかけています。

あなたの悲しみが、あの子の歩みを止めてしまう

もし飼い主が、いつまでも深い悲しみの中に留まり続けていたら、彼らはどう感じるでしょうか。

「自分だけ先に進むわけにはいかない」と、後ろ髪を引っ張られてしまう。

天国での新しい活動を、足止めさせてしまうのではないでしょうか?

そんな状態に彼らを留めてしまうこと。
それは、私にとってはあまりにも申し訳ないことなのです。

私が「前に進む」ことを選ぶのは、彼らの歩みを止めないためです。

悲しみを消すのではなく、後悔や喪失感を一つひとつ丁寧に観察し、俯瞰できるところまで持っていく。

そして最終的に、存在してくれたことへの感謝、すべてを含んだ愛へと昇華させる。

ここまで来て初めて、私の中で彼らへの愛は「ひとつの形として結実」します。

肉体を持った三次元的な関係性が、魂のパートナーシップへと昇格するというイメージです。

失った過去から、共に生きる未来へ

昇華とは、忘れることではありません。

彼らを「失った存在」ではなく、私の人生の中に生き続ける存在として迎え直すことです。

迎え直した彼らはもはや悲しみの象徴ではありません。

今この瞬間を大切にすることや、目に見えなくても繋がっている感覚を教えてくれる、私の生き方を整えるための鋭く正しい「コンパス」になってくれます。

この考え方は、深い悲嘆の真っ只中にいる方にとっては、すぐには受け入れがたいものかもしれません。

今、絶望の淵にいる方は、まだこの言葉を理解しようとしなくても大丈夫です。
いつか、少しだけ前を向きたくなった時に、またここを読み返していただければと思っています。

私たちが今、あの子に見せられるもの

私は、この在り方がペットたちにとって最も誠実であり、飼い主が自らの人生を引き受けて生きる形であると信じています。

彼らがいたから、私は今こうして生きています。
大袈裟ではなく、彼らに教えられたことは本当にたくさんあります。

だから私は、悲しみの中に留まり続けるのではなく、彼らが残してくれたものを糧に、今日もちゃんと生きていこうと思うことができるのです。

また逢えます!

ちなみに、これも何度も書いていることなのですが、動物たちは単なる「愛玩動物」ではありません。

意識していようといまいと、私たちは魂を通わせ合っている存在なのです。

天国へ行った彼らは、必ずあなたのことを気にかけています。
今はまだ信じられなくても、まずはそう信じてみてください。

大丈夫、答え合わせは「あの世」でいくらでもできますから。(^_-)-☆


最後に、自分自身に問いかけてみてください。

「あなたは今日、あの子にどんな背中を見せたいですか?」

最後に補足します

なにも聖人君子のように生きましょう!

と言っているわけではありません。

あなたが、あなたらしく生きよう!
と決めることを、彼らは何より嬉しく思ってくれるはずと私には思えて仕方がないのです。

時には、ぐうたら星人になるもよし、
時には、シャキシャキ活動するもよし、

時にはブーブー愚痴や文句をいいつつも、
何周かしたら本来のあなた自身に戻ることを忘れないようにしてみましょうということです。

彼らはきっと”ヨシヨシちゃんと人間やっているな”と思っているはずですから。(笑)

これが彼らの広くて深い愛に応える 私なりの亡くなったペットに対する捉え方です。


最後までお読みくださってありがとうございました。